東日本大震災(2011.3.11)

           東日本大震災

     福島県相馬市 「原釜地区」「磯部地区」 

 
福島県は、

「西の会津」「中央の中通り」「東の浜通り」

                
               と3つのエリアに分かれていて、

  相馬市は東の浜通りの北部に位置します。

福島県地図       
   相馬市地図
                   □① 原釜地区  □③・④ 磯部地区



平成23年3月11日、東日本大震災が起こりました。
相馬市でも一番被害が大きかった場所は「原釜地区」と「磯部地区」です。


私の母は「原釜」で生まれ育ちました。母の生家は、今回の震災で津波に流されてしまいました。さらに、多くの親戚もさらわれ、命を落としました。


私の叔母は「磯部」に住んでいます。相馬市で亡くなられた方の半分以上が磯部地区の方で津波に流されお亡くなりになりました。



           「原釜地区」

                  「原釜地区」は、

  太平洋に面しているため家がほぼ全滅した地区です。平成22年3月11日(震災当日)
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  自衛隊の方が道を作って下さいました。 平成22年3月26日(震災15日後の様子)
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              道路に漁船が流されてきました
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              海の中に車、家が浮かんでいます
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                          (約2年後)平成24年4月28日
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                           (約3年後)平成25年2月24日
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            ここは「私の母の実家」があった場所です
              お風呂場のタイルだけが残りました
                         (約1年半後)平成23年8月17日
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                          (約2年後)平成24年4月28日
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                          (約3年後)平成25年2月24日
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                         (約4年5か月後)平成26年8月29日 

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              実家があった場所(現在は相馬市管理)

                          (約5年2か月後)平成27年5月3日
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       原釜地区実家付近は平地で、堤防の資材置き場になっていた箇所もありました。

                        


           「磯部地区」 

                  「磯部地区」は、
                     
        約500世帯あった家が400世帯ほど津波に流されてしまいました。 

              私の叔母は、「磯部地区」に住んでいます。

震災の日、高台に住んでいる家から見渡すと、まったくの海だったそうです。

叔母は、この壊滅した地区のなかを毎日、車で通勤しています。
電柱も倒れ、建物も街灯もないので、 夜はほとんど何も見えません。


                           (約2年後)平成24年4月28日


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                           (約3年後)平成25年2月24日

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